夏の信州への小旅行

8月の終わりの、信州への小旅行
清里・小諸・藤村の一ぜんめし・北国街道・海野宿・美ヶ原・旧中仙道

普段は「長野県」と言っているが、旅や山登りの時はどうしても「信州」と言ってしまう。


6:26 平塚出発 9:15八ヶ岳をバックにした「清泉寮」着。ソフトクリームを食べる。


小海線「清里」駅前を過ぎ、清里高原を走っているとコスモス畑の向こうに八ヶ岳が見えた。


この辺りも高原野菜の栽培地だ


141号線を北上。10:25松原湖。八千穂村・佐久市を過ぎ、小諸に向かう。


11:35 小諸着。 予定通り、昼飯に間に合うように着いた。

「揚羽屋(あげはや)」の“一ぜんめし” 、これを目当てに来たのだ。
島崎藤村がちょくちょく通った店で、藤村も食べた「一ぜんめし」が今でも食べられる。

肉ばかり食べないで、こういう物を食べていれば良いのだ、と納得する。
「おから」がかなり甘かった。



“一ぜんめし  島崎藤村/千曲川のスケッチより”
「私は外出した序に時々立ち寄って焚火にあてて貰う家がある。鹿島神社の横手に、
一ぜんめし、御休処、揚羽屋とした看板の出してあるのがそれだ。・・・」
 

どんぶり飯である。店内は地味な造りになっていた。


食後、お馴染み「懐古園」。大きな門である。


一番奥の「展望台」から眺める千曲川は“旅情”を感じない。
堰堤があり、川の脇に数階建ての団地が並び、向こう岸には工場がある。
“藤村ロマン”はどこにも見当たらなかった。

これじゃ、別の意味で “雲白く 遊子悲しむ”だ。

園内の、「藤村記念館」は藤村が偲べて楽しかった。



「懐古園」を後にして「布引観音」へ。

下の駐車場から20分ほど登って観音堂を目指す。


観音堂だ。崖っぷちに建っている、というより貼り付いている。

1:30 「布引観音」 観音堂に着く。吹き抜ける風が涼しい。
重要文化財:宮殿 藥師如来三尊が祀られていた。

「布引伝説」
昔、おばさんがこの下の千曲川で洗濯をしていたら、牛が干していた布をツノに引っ掛けて逃げていった。
おばあさんはその牛を追いかけて行くと、結局牛は善光寺まで来てしまった。
そこに菩薩があらわれ、その後おばあさんは幸せに暮した。

・・・・・牛に引かれて善光寺・・・・・


2:20 小諸から「海野宿(うんのじゅく)」着。

ここは江戸時代、信濃國・北国街道の「海野宿」である。
豪族海野氏の城下町、交通の要衝、商業の中心地であった。



いかにも宿場という感じだ。この道に車はまったく似合わない。

当時、北国街道は中山道と北陸道を結ぶ重要な街道であり、佐渡で採れた金の輸送、
北陸の諸大名の参勤交代、また善光寺への参詣客もあり、交通も頻繁でこの宿場も栄えた。





道の中央を流れる用水、その両側を650mに渡り立ち並ぶ、海野格子の美しい家並み。


この“うだつ”は「袖うだつ」といって、は明治時代のもの。
江戸期の「本うだつ」のある家など、どの家もうだつを持つ。

“うだつのあがらない”家はないようだ。

2:40 「海野宿」を後にして、今晩の宿泊地、「美ヶ原高原ホテル」へ向かう。


里からぐんぐん山道を登り、3:50 「美ヶ原高原ホテル」着。

大浴場で手足を伸ばす。風呂から高原・山並みが見える。

6:00 とにかく食べることには目がないので、一番先に食堂に来てしまった。


食堂から、高原を見ながら冷えたビールを一杯。

「美ヶ原高原ホテル」と、名前から想像すると宿泊費が高そうだが、
実際に泊まったことがある人はご存知の通り、民宿並の値段です。


(下図に続く)

それでいて、食事の品数が多い! うれしいねー!

でも肉が少ないので、「ジンギスカンの肉の、お代わりを注文してもいいですか?」と食べる前から聞いたら、
「え? 今までお代わりを注文された方は一人もおりませんが・・・。」とビックリしている。
他にも品数が多いから充分だと思う、と言われたが、
「しかしやっぱり肉が好きなので、お代わりを注文したい。」
と頼んだ。

(今日の昼飯の“一ぜんめし”に肉はついていなかったので・・・。言い訳)


(上図から続く)
テーブルの右半分がこちら。 確かに多かった。
ビールを飲みながらあれこれ食べていると、だんだん満腹になってくる。

勿論ジンギスカンは二人前食べた。
で、結局「デザートの信州りんご」は食べられなかった。


翌 朝

翌朝:6:25 ホテルを出て、「美しの塔」まで朝食前の散歩。
「塔」は思っていたよりも大きかった。

途中、北アルプスの稜線、槍ヶ岳・大キレット・穂高連峰が見えた。
学生時代に登った山々だ。しばし見とれる。

肉眼では見えるが写真にしたら、うっすらとしか写っていなかった。
秋から冬にかけて、空気が澄んでいる時でなければ、ハッキリと写らない。


高原は300頭を越える牛だらけ。人間の歩くところが柵で囲ってある。

牛たちは春に農家から預かり、ここで避暑をする。秋を迎え、雪の降る前に車に乗せられ、
山を降りる。雨の日は谷の窪地で寒を避けているそうだ。


7:00 朝日が差し込み、高原のさわやかな空気の流れる食堂で朝食だ〜!

パンもコーン・スープもミルクもお代わり自由だ。 うま〜い!


朝食後、高原を下る。どんどん下る。

「諏訪大社 下社秋宮」 参拝


参拝後、岡谷・塩尻から19号線に入る。旧中山道だ。


「奈良井宿」:

さすがに観光客が多い。


大きな宿場だ。土産物店も数多い。
木曽は涼しいと思ったが暑かった。


昼飯は信州だし、“そば”だ。 ちょっと大きな店に入る。
「手打ちそば」 1.050円! たかが“そば”である。(されど、そば、か?)

ちなみに、超・名店の値段は、下記の通り。
東京・神田須田町「神田まつや」:もり550円。ざる700円。(そば通、絶賛)
東京・神田淡路町「かんだ藪蕎麦」:せいろ600円。(全国・藪の総本山)
長野・上田市「刀屋」:もり500円(以前食べて、量の多さに圧倒された!)。(池波庄太郎・山岡信、御用達)

今どき、“観光地値段”は流行らないんじゃないだろうか。


旧中山道をずっと南下する。

1:25〜1:45 木曽八景の一つ、名勝「寝覚ノ床」:国の名勝史跡天然記念物
巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれてできた自然の彫刻。

浦島太郎伝説

浦島太郎はここで乙姫にもらった玉手箱あけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。
太郎には、今までの出来事がまるで「夢」ように思われ、はじめて目が覚めたかのように思われた。
このことからこの里を「寝覚め」、岩が床のようであることから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという。


2:25 「妻籠宿」着

自家用のみならず、観光バスのP迄ある一大観光地である。


やはり奈良井宿よりも観光客が多い。


枡形になった道もある。


ここは誰でもシャッターを切る撮影ポイント。ここの夕暮れ時、宿の看板に灯りが点いたポスターは有名だ。


観光客が途切れた、一瞬。

よくこれだけ古い建造物が数多く残ったものだ、と感心した。


さて今晩の宿だが、例によって計画の段階であれこれ調べたら野菜は勿論、味噌まで自家製、
おまけにご主人が狩猟をし、運がよければその日の獲物が晩の食卓に並ぶことも・・・、
というガイドブックの案内記事を読み、迷わず決定。予約した。

もしかしたら、今晩キジイノシシが食べられるかも・・・・・。

そして 3:35 大妻籠にある、その民宿に到着した。 

が・・・!

ご主人「猟? もうやってない。」  小生「えっ、もうやってないんですか!」
ご主人「うん、もう、とっくにやってない。」  小生「あら・・・! (ガクッ)。」



一風呂浴びてビールを飲み、晩飯までは時間もあるし、酒でも飲むかとお願いした。

ところがなんとご主人が一升瓶を下げ、コップを三つ持ってきた。
木曽福島の「七笑」である。

陽がまだ高いのに、三人で始めてしまった。
「おっとっと。」
「ささ、どうぞ!」

なんてやってるうちに、
「なに、山女(ヤマメ)を食べたことがない!そんじゃ、食べさてやろう。ちょっと行ってくる。」
とご主人出かけてしまった。

イワナはあるがヤマメはないナー。

しばらくたって戻ってきて、「ほれ、こらがヤマメじゃ。この斑点が・・・」

こんなことは、いわゆる普通の旅館では味わえない贅沢だ。民宿ならではのこと。
ありがとうございました!

その後、ヤマメの塩焼き・ますの塩焼き・山菜の天ぷら・茶碗蒸・五平餅・豆・その他いろいろ(酔っ払って忘れた)。
イワナの骨酒まで飲み干した。 あっ、そうそう、“ほおずき”の漬物、甘かったが美味だった!

土地の話や昔話、飲むほどに酔うほどにって、一升瓶をコップ酒でやっていたので、完全に酔っ払った。

イワナの骨酒や料理などを撮った写真はブレたりしてダメだった。
酔っ払って、ごはんも味噌汁も飲めなかった。


今は亡きおじいちゃん(つまりご主人のお父さん)のアルバムを見せて頂いた。
その昔、あのアクション・スター千葉真一の、トヨタ・カリーナのTVコマーシャルに出たのだそうだ。
千葉真一扮する息子がカリーナに乗って実家に帰ってくる、その父親役だった。


翌 朝!

7:00 朝食。 あんなに飲んだのに、スッキリ。
味噌も醤油も自家製。野菜がうまく、炒め物もうまく、さらにイワナの甘露煮が絶品!
イワナの甘露煮は大好きだが、ことのほかうまかった。なにもかもうまかった。

おかげでごはんを二杯半食べた。朝食で二杯半は初めてだ。


御礼を言って民宿を後にし、藤村ゆかりの「馬籠宿」に。
まだ、朝が早いせいか観光客はあまりいなかった。



「ふるさとの家」:おばあさん達が土産物を作っていた。

いや、楽しい旅だった。

うまいものや、珍しいものが食べられたり、人との触れ合いがあったり、旅はほんとに楽しい!


平塚・・(東名高速)・・御殿場・・(東富士五湖道路)・・富士吉田・・(中央自動車道)・・清里・・
小諸・・海野宿・・美ヶ原高原(泊)・・諏訪大社・・奈良井宿・・寝覚ノ床・・妻籠宿(泊)・・馬籠宿・・(帰路)。


「富士山麓・“鳴沢氷穴”と“富岳風穴”」に続く

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