平成19年8月17日(金)〜18日(土)、1泊2日の、
信州:「上田・松代・安曇野・松本」 への小旅行
上田市「北国街道」すぐ脇に信濃国分寺跡がある。
天平十三年(741)、朝廷から全国の国々に国分寺を建てる詔〔みことのり〕が出された。
国家が栄えるようにと仏に祈るためで、諸国はこの詔を受けてさっそく国分寺を造ることになった。
(上田市文化財マップから引用)
上空から見ると、中央を「しなの鉄道」が斜めに横切り、右上を国道18号・北国街道が通る。
全面積129340uのこの広大な地域が国指定史跡になっている。
真田幸村の父、昌幸によって天正十三年(1585)に築城。
その名を天下に知られるようになったのは徳川の大軍の攻撃を二度にわたって撃退したことによる。
「真田石」:大手門のわきにある。
築城の際、昌幸がこの大石を「真田石」と名付けた。
その子信之が松代に移封の際、この石を持っていこうとしたが微動だにしなかったと言う文字通り上田城の礎石である。
南櫓から登って、大手門内部、北櫓内部を見学できる。
「大手門」内部。
薬味・わさび・大根おろしがついている。
上田から松代に行くのに通常は国道18号を行くのだろうが、平坦な、また排気ガスの道を行く気になれず、
例によって地図で探し、“地蔵峠”越えの山間部の道を行く。
ガラガラ、のんびり。
松代に入り、まず「文武学校」。
真田氏は元和八年(1622)上田より入封以来廃藩まで10代250年間、松代藩は殖産を興し文武をすすめた。
また、その間、政治にも見るべきものがあった。
ことに八代幸貫は文政六年(1823)、蘭学・西洋砲術等を積極的に取り入れ、この「文武学校」を建設した。
「文学所」から「槍術所」へ向かう校内の道。
「真田邸」は改修工事のため、この池しか見ることが出来なかった。
「真田国宝館」:その恩田木工の屋敷跡にある。
真田家と戦国武将に係わる伝承宝物が展示されていた。
「旧横田家住宅」:「表門」。切妻造、桟瓦葺。
この横田家は、城下町松代に残る中級武士の住宅の特徴を残している。
「主屋」:寄棟造、茅葺。約48.8坪(160.958u)。寛政六年(1794)建築。
「旧横田家住宅」から車で5分。「松代城址」:
右奥、屋根だけ見えるのが本丸の「太鼓門」。
この橋は「太鼓門前橋」。
永禄三年(1560)に甲斐・武田信玄によって築かれた「海津城」がその始まり。
その後、戦国動乱とともに城主は変わり、真田三代目藩主幸道のとき幕命により「松代城」と改名された。
さて、松代を後にして今晩の宿泊地・安曇野に向かう。
長野自動車道を行けば簡単だが、例によって山間部を走る。403号線。
走っている車はほとんどない。 快適!
途中、千曲市のあたりか、盆地が見える。
長野自動車道「豊科IC」近く、宿泊した“東日本一に選ばれた民宿”。(写真は同民宿パンフレットから引用)
左手にも3棟ほどあり、堂々たるものだ。
料金も安い。
が、確かにおかずは“家庭料理を数品、バイキングで”となっていたが・・・。
一番の不満はごはん(お米)のまずいこと。
はっきり言うが、過去、これほどまずい「米」を食べた記憶がない。
「東日本一」というのは、建物の外観のことか?
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