ばんしゅう     あ こ う


2008年4月10日(木)神戸での出張の仕事が終わり、足をのばして播州赤穂の「赤穂ロイヤルホテル」泊まり。

四十七士の故郷・赤穂訪問の以前からの願いがかなった。
翌朝6時過ぎチェックアウト。早速散策。城跡は目の前だった。

 ところで、天気予報は雨だったが、なんと11日(金)は晴れ!
我ながらの「晴れ男」振りにまたまた驚嘆。




 播州赤穂といえば言わずもがな「忠臣蔵」

元禄十四年(1701)三月十四日、浅野内匠頭長矩が江戸城中「松の廊下」で高家筆頭吉良上野介義央に刃傷。
主君刃傷の第一報を持った早見藤左衛門と萱野三平は四昼夜半、早駕籠を飛ばし、十九日早朝赤穂到着。
この井戸で一息ついて、大石邸に向かった。




 その大石邸の、平素、内蔵助や主税が出入りしていた正面長屋門が今に残る。




 この門を早見・萱野両名が叩いた。




 「大手隅櫓」:
 その日から赤穂城は開城か篭城かでもめにもめた。




 「本丸門」:
 が、結局無血開城。




 その後、江戸詰めの急進派の赤穂藩士、片岡源五右衛門・礒貝十郎左衛門・堀部安兵衛達と赤穂の大石との軋轢などがあったが、
一年十ヵ月後、元禄十五年十二月十四日、ご存知の「討ち入り」となる。




 あの四十七士の故郷がここだ。




 大石神社。義士宝物殿などがある。




 「片岡源五右衛門宅址」
あちこちに義士宅址の碑がある。




 「花岳寺」:
赤穂城の「塩屋門」を移した山門がある。
浅野家菩提寺。

所謂「忠臣蔵」が大好きで、機会があれば訪れてみたかった播州赤穂に初めて行ってまいりました。

さて、次は「龍野」に向かいます。



童謡「赤とんぼ」と脇坂五万三千石の城下町“龍野”に続く

一言で結構ですので、ご訪問頂いた足跡をお願いします.
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