2008.5.6〜7
GWの混雑を避けて、6日(火)7日(水)と福島県・二本松市に行ってきました。
高村光太郎「智恵子抄」の主人公“智恵子の生家”:
智恵子の部屋は二階にあった。
長年、訪れたいと思っていた“生家”にやっと来ることができた。
明治十九年(1886)生まれ。
大正三年(1914)29歳。光太郎と結婚生活。
昭和四年(1929)44歳。実家が破産。一家離散。
昭和六年(1931)46歳。精神分裂症の最初の徴候。
昭和十三年(1938)53歳。粟粒性肺結核で死亡。
昭和十六年(1941)光太郎、詩集「智恵子抄」刊行。
“智恵子の生家”から「二本松城跡」はほど近い。
二本松藩が誕生した寛永二十年(1643)、初代藩主丹羽光重が十万七百石で入城し、
幕末まで丹羽氏10代の居城として、220有余年続いた。
戊辰戦争に際し、西軍との抗戦ですべてを焼失、慶応四年(1868)七月二十九日に落城した。
その戊辰戦争の際、十三歳から十七歳までの少年六十二名が出陣、
城内への要衝で二十五名が果敢に戦ったが、二十九日正午ごろ二本松城は炎上し落城した。
二本松城跡で往時を偲んだ後、「岳温泉」に向かう。
「陽日の郷(ゆいのさと)あづま館」に投宿。
温泉プールや大浴場他、いくつかの風呂があったが、この露天風呂は気持ちが良かった。
夕飯時、挨拶に来られた女将。
「日本の宿 おかみ 百人」(だったかな?)という本に紹介されている写真はちょっとキツク写っていたが、
実物は“秋篠宮の紀子さま”を少しふっくらした感じの美人でした。
翌7日の朝食はバイキング。
私はパンにソーセージ、スクランブルド・エッグ、ごぼうのポタージュ。
これに牛乳、コーヒー。
家内はお米。
朝食後、小高い丘まで車で登る。
真正面が「安達太良山」:
実は家内とは昔、春三月、まだ雪で真っ白だったこの安達太良山で出会ったんです。
山男と山女です。
おまけ:愛車。
クラウン・ロイヤル・サルーンG マルチV。
3000ccなのでガソリン喰います。
ハイ・オクだし、ガソリン急騰の昨今、本当にまいります。
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