2009.1.17(土)
平塚のマンション6階から、晴れていると直線距離28km先の「真鶴岬」が見える。
17日(土)快晴。出かける。
「西湘バイパス」を走り、7時30分、「小田原魚市場」到着。
朝食を最近贔屓の「小田原魚市場食堂」で、
いつもの「金目の煮付け定食」「刺身とフライの定食」を家内と食べる。
市場で働いている人だけではなく、一般区客も利用できる。
当然刺身はうまく、「金目の煮つけ定食」も抜群!
小田原を過ぎれば、もう真鶴は近いよ。アソコに行く。
8時25分、真鶴港。
港からグングン登り原生林を走り、突端に向かう。
駐車場に車を置き、岬の突端からくねくねと階段を下り、磯に降りる。
おお、「三ツ石」が見えてきた!
磯まで降りる。右手に伊豆半島が見える。
土曜日だというのにまだ早いせいか、我々のほか誰もいない。
注連縄が張ってある。神聖な場所である。
大潮の時などは、磯伝いに歩いて行けるそうだ。
帰り道、登り始める。斜面にスイセンがもう咲いている。
8時55分。
朝のコーヒーでも飲みたいが、まだやっていないだろう、と思ったら女性オーナーが「どうぞ!」
挽きたてのコーヒーを飲みながら相模湾から伊豆半島。 太陽が燦燦、暖か〜い室内。
色々話を伺っていると、ここは「望月秋羅」先生のアトリエ兼画廊でもあるという。
「望月秋羅」先生といわれてもそれまで全くゾンジアゲマセンでした、が・・・・。
そのうちご本人が現れて、お聞きすると・・・。
以下、ご本人のお話を箇条書き。
・過去、事業を3回失敗した!
・そして60歳の時に、筆ではなく竹、竹の根に直に墨をつけて「書」を書くことを思いついた。
・苦節17年後の77歳の時、偶然巡り合った「東京新聞」の人をきっかけに認められる。
・現在88歳。手に持っているのは、29年前当時の「竹」である。
太い竹、中くらいの竹、細い竹で書いていく。
「人生 逃げるな 逃げるな」の色紙を頂いた。
名刺に、「IOND大学名誉博士」「タイ国立大学・・・」「オーストリア宮廷・・・」「フランス・・・」etc.
国内だけではなく、海外にも出かけているそうだ。
いやいやとても88歳には見えません。
偶然入ったお店で、大変な方にお目にかかりました。
お店を後に、岬の中ほどにある真鶴町立「中川一政美術館」に立ち寄る。
(同館のパンフレットからコピー)
日本洋画壇の重鎮で文化勲章受賞者でもあった中川一政画伯は終戦後の昭和24年(1949)、
ここ真鶴にアトリエを構え、福浦港などを題材に活躍した。
当初、港の突堤で画いていると漁民が物珍しげに絵を覗き込んだりしていたが、2年ほどたったら誰も来なくなった。
ある時、なじみの漁師に、
「この頃うまくなったな。これでメシくうのも大変だな。」と言われたそうな。
この日も、海はキラキラ輝いていた。
「安・近・短」の旅だったが、“内容充実”の一日であった。
続 き
後日、2月1日(日)8時20分。
ベランダに出ると、伊豆連山の手前海面に「真鶴岬」が見える。
相模湾に釣り船が浮かぶ。
200mmの望遠で撮ってみる。
その画像を拡大してみると・・・
おお、岬先端の中腹に、ぼんやりではあるがあのコーヒー店があるのが分かる!
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