左義長

神奈川県・大磯 

(国指定重要無形民族文化財)



毎年1月14日早朝、相模湾に面した大磯北浜海岸に十基ほどの「サイト」と呼ばれるワラの山が作られる。

高さは10mに達し、旧年中の神棚の飾り物やだるまなどがくくり付けられる。

そもそも道祖神を祭る行事であったらしいが、左義長(さぎちょう)、またはセエノカミサンドンドヤキともいわれる。


「左義長」という名前が定着したのは伊藤博文の側近が名付けたからという説もあるが、不詳。
また島崎藤村が晩年を大磯で過ごしたのは、左義長の壮大さが気に入った為、とも言われている。

湘南”という地名発祥の地「大磯」は、明治の頃から政財界人の別荘地として有名であった。
明治18年には、日本初の海水浴場が開かれた。
ワンマンで知られた故吉田茂首相もずっと大磯に住んだ。


夕暮れとともに、木の枝にだんごを刺した人が集ってくる。


一年間の無病息災を願って、午後7時、火がつく
各サイトは、その年の恵方の方角から点火されることになっている。


あっという間に燃え上がる。 そばにいるととても熱い!


それぞれの町内ごとのサイトが燃え上がる。



この火で焼いただんごを食べると、風邪をひかない、ということになっている。


火が落ちて、灰になった頃に焼くのが良い。
火の勢いが強い時に焼いても表面が黒焦げになるだけで、中までちゃんと焼けない。


そうこうするうちに、下帯姿の若い衆が(最近の若い衆はあまりこんなことをやらなくなった。
で、”昔の”若い衆が)小さなお宮さんを乗せたソリ状のものを真冬の海に運ぶ。


「海」の中の若い衆と「陸」の人達とで、いわゆる綱引きをする。
この綱引きを「ヤンナゴッコ」というが、意味はわからない。

そして綱引きは必ず「陸組」の”勝ち”ということになっている。
占いに基づいているらしいが、詳細不明。


勝負が決すると、そのお宮を浜に上げ、足で踏みつぶしてしまう。

この綱引きはサイトと同じ町内ごとに海岸のあちこちで行われ、
最後はこの壊れたソリは人に引かれて各町内を回る。

なんとも面白い「国指定重要無形民族文化財」行事です。


続いて「湘南平塚七夕祭り」を見る

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