真土大塚山古墳
平塚市の北にあり、古墳時代前期(4世紀)に築造、相模の国の中にあっては最古の古墳と考えられているもの。
しかし古墳は昭和30年代(1960頃)消滅し、1996年に「真土大塚山公園」として真土小学校の南側に古墳が復元されている。
調査は昭和11年と35・36年の2回行われ、「三角縁四神二獣鏡(さんかくぶちししんにじゅうきょう)」、
変形四獣鏡、巴形銅器、銅鏃、鉄剣、鉄斧、鉄刀、鑓鉋、玉類、土器、人骨などが出土した。
相模国の前身であるサガムの国を支配していた豪族の墓と考えられている。
少なくとも、最高級品であった「三角縁四神二獣鏡」を保持した真土大塚山古墳の被葬者は、
何らかのつながりが大和政権とあったために入手することができたものと考えられる。
(古墳の俯瞰模型)
その背景には、東国の毛国(現在の群馬・栃木県)と総国(現在の千葉県)を制圧する前進基地としての役割がサガミの国に課され、
その見返りとして鏡が与えられたのでは、と考えられている。
いずれにしても、被葬者は相模川流域を統括するような人物で、後の相武の国造につながるような在地の大豪族とみられる。
「三角縁四神二獣鏡」は、縁の断面が三角形になっていて、主文様に四人の神像と二頭の獣像が施される鏡のことで、
中国からの舶来品といわれている。
直径が22.1cm。
この鏡は、現在東京国立博物館にて保管されている。
(以上、文章は平塚市のHPから引用)
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