アール・デコ調の歴史的建造物「横浜松坂屋」の営業終了。

2008.10.17(金)



(写真は、明治30年頃の「野澤屋」)

 144年前の元治元年(1864)、「野沢屋呉服店」として開業した「横浜松坂屋」が今月10月26日(日)、営業を終了した。

“立地や競合店舗など周辺環境の変化による売上減少に加え、本館建物の老朽化が進んでいることから、
百貨店事業の継続は困難と判断し、営業は終了させていただくこととなりました。”
(同店の「営業終了のお知らせ」から)




 横浜・伊勢佐木町は横浜駅西口の開発、及びMM21が出来る前までは横浜の中心繁華街だった。

 大正10年(1921)に建築された「横浜松坂屋本館(旧野沢屋)」は、国内の代表的なアール・デコ調の装飾が随所に施されている。
この「歴史的建造物」を惜しむ声があちこちから上っている。

 伊勢佐木町と言えば、
 あの独特のため息で始まる、「伊勢佐木町ブルース」:青江 美奈:昭和43年(1968)。

 ♪あなた知ってる 港ヨコハマ
 街の並木に 潮風吹けば
 花散る夜を 惜しむよに
 伊勢佐木あたりに 灯りがともる
 恋と情けの 灯がともる


 
 
昭和36年(1961)、全国に先がけてこの通りは“歩行者天国”を実施した。

 朝早く、まだ街も賑わってはいない。
名残惜しげにスケッチをする人。




 そして“いしだ あゆみ”の「ブルーライト横浜」:昭和44年(1969)。

 ♪街の灯りが とてもきれいね
 ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
 あなたとふたり 幸せよ
 いつものように 愛の言葉を
 ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
 私にください あなたから

 歩いても歩いても 小舟のように
 私はゆれて ゆれて あなたの腕の中

 ・・・・・・・・・

 あの頃、“ザキ”は昼も夜も賑わっていたなー。
 伊勢佐木、野毛とよく飲み歩きました。




 さて、10:30開店。




 希望者は1階の“インフォメーション”で住所・氏名を申し込み用紙に記入し、
このタグを首からぶら下げれば店内を自由に撮影可。

後日新聞で知ったが、兵庫、京都から撮影に来た人もいるとのこと。
以前横浜に住んでいて、このデパートが忘れられない想い出になっている人たちなのかなー?




 エレベーターの回数表示板。懐かしいナー!




 エスカレーターの側面模様は直線や弧のアール・デコ独特のデザイン。




 昭和4年(1929)8月19日。
ドイツの飛行船「チェッペリン伯号」、世界一周の途中ここ横浜の上空に来た時の写真が、階段踊り場に展示されていた。




 4F「紳士服売り場」:
当時、野毛山に住んでいたので、この売り場に「ダーバン」のスーツを何回買いに来たことか。

知ってる人もいると思うけれど、アラン・ドロンが
“ダーバン、セ・レレガンス・ドロム・モデルン(D'urban, c'est l'elegance de l'homme moderne.)”
というCMがTVで年中流れていた。

もう、30年前のことだ。
 
 売り場の人と言葉を交わしたが、間違いなく当時は記憶どおり「紳士服売り場」は2Fだった。


 

 5Fの天井部分にバラの花模様が・・・。




 これは昭和12年(1937)増築完成当時の4階大食堂の写真。




 7F、現在の、その「お好み食堂」:
まだ11時前だが、営業していたので、当然入った。




 「幕の内」:この内容と味で1680円は高いです。これはハズレ。




 屋上にはこの「横浜松坂屋」前の路上ライヴからデビューした、フォークデュオ「ゆず」の大きな壁画がありました。
といっても「ゆず」のことは、あまり知らない。

久し振りに、昼間の伊勢佐木町に行ってきた。

そして、又一つ、歴史が消えた。

余談:「横浜松坂屋」の前身「野澤屋」の社章は「入九(いりく)」であった。
(漢字「九」の上に「入」の字をかぶせた形だった)
社章の意味は、利益を目標の九割にとどめて信頼関係を大切にする精神を示すものだったそうだ。

しかし、「九」が「苦」に通づる、という意味合いで祝儀の引き出物や、婚礼・七五三の着物などは敬遠されたそうだ。


季節の喰切料理「貴柳庵」に続く


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