ローマ(3)

サン・ピエトロ寺院  フォロ・ロマーノ

翌朝、ヴァティカン市国「サン・ピエトロ寺院」の”クーポラ”の一番上のテラスを目指し、
途中まではエレベーターを利用、その先92mは階段を歩いて登る


120mの高さの”テラス”から朝靄に霞むローマを望む


「サン・ピエトロ広場」が眼下


この「サン・ピエトロ広場」に30万人の信者が集まる


周りの柱は284本
1667年、ベルニーニの設計で完成


寺院の衛兵は代々スイス人が司る
この撮影位置より一歩でも前に出ると、あの槍で刺されるそうだ


寺院の、ちゃんとした正面から入る
馴染みの信者らしく、入り口で談笑していた


「ピエタ」:キリストを抱くマリア
1499年、ミケランジェロ25才の作品


「聖ピエトロに捧げられた玉座」:
ベルニーニ・1666年


続いて隣の「ヴァティカン博物館」へ
中はとてつもなく広く、「エジプト美術館」「キアラモンティ美術館」
「地図のギャラリー」「ラファエロの間」など他多数


そして圧巻は「システィーナ礼拝堂」:ここだけは撮影禁止なので、ノー・ファインダーの隠し撮り(ゴメンナサイ)
ミケランジェロ:1536年「最後の審判」


同じくミケランジェロの、旧約聖書を題材にした天井フレスコ画


次は少し離れた観光名所、「コロッセオ」(円形競技場): およそ2000年前に造られた。
”コロッセオがある限りローマも存在するだろう。コロッセオが崩れるときローマも終わりとなろう。
が、ローマが終わるときは世界の終わりだ” と12世紀末に言われたが、今も建ち、ローマも世界も健在だ


5万人収容:長径188m・短径156m・周囲527m・高さ57m
コロッセオができる前、ここは皇帝ネロの黄金宮殿の一部だった


歩いて隣の古代ローマの発展の中核地、「フォロ・ロマーノ」へ
ここは市民の集会・裁判・商業活動・政治討論の場として設けられた公共広場
”フォーラム”の語源はここから来ている


「セヴェルスの凱旋門」:203年建造
周囲では未だに発掘が続いている


「エミリアのバジリカ」:天候が悪く屋外で集会や商取引ができない時に使われた大きな公共建物
前179年、エミリア一族によって造られたのが最初


「アントニヌスとファウスティーナの神殿」:
アントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティーナの死後(141年)、彼女のために建てた神殿
後に、皇帝自身もここに祭られた


「カエサルの神殿跡」:
前44年に暗殺された遺体を火葬した場所


広〜い「フォロ・ロマーノ」を見た後、南側に隣接した「パラティーノの丘」に登る
ここはローマの政治・経済に力を持つ貴族や有力な家柄の人々が住む住宅地だった


帝政時代、皇帝たちもこの丘に次々に邸宅を造った
現在、丘は夏には花々が咲き、冬にはオレンジが実るそうだ


特徴のある”ローマの松”  レスピーギ作曲交響詩「ローマの松」を想う
ここも大変広い丘だが、出会ったのはこのローマ娘二人だけだった


丘を下って、「チルコ・マッシモ」:
ローマ時代を通じて最も大きな円形競技場だった
木々の影が長く、もう間もなく夕暮れだ


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